L進セミナーの「 L 」って?
Less Restrictive Alternative という米国の憲法判例用語の頭文字を引用したものです。
すなわち、「子供たちの自由を可能な限り束縛せずに、彼らの能力を最大限に引き出そう」という L進の指導理念を表した文字です。
全教師プロ集団
塾の生命線、換言すればその存在価値はどこで決まるのでしょうか。 難関校への進学実績、システム化された教材教具類、充実した教育設備等々、評価の基準は様々です。 私たちは、それを「教える教師」に求めています。教育という現場において、 生徒に大きな影響を与えるのは、知識事項よりも、むしろ『誰に教わったのか』というその人間像に あるのではないでしょうか。生徒の立場に立って、指導・助言を的確に与えてくれる大人(教師)から 生徒は大きな影響を受けるものです。従って、こうした資質を十分に充足させ、生徒の疑問に誠意を 持って答えていけるだけの社会経験と指導経験を積んだ教師こそが生徒の前に立つべきです。 こうした観点から、L進では大学生や院生等のアルバイト教師を一切採用せず、 指導経験十年以上の教科専任教師が完全指導しています。
 
「わかる」ということの素晴らしさ
「わかる」ということは、学習面で自己を発展させる最大の源なのです。 これこそ、あなた自身に自信を与え、新たな知識を得る喜びを味あわせ、各教科の持つ独特な面白さ を感じさせる原動力です。同時に、「こういう方向で学びたい」「自分のこういうところを伸ばしたい」等々、 次から次へと意欲を沸き立たせる魔法の泉でもあるのです。真に「わかる」という境地に至ったとき、 「わかるために、何かをしなければならない」という不安に苛まれる『消極的な自分』ではなく、 「わかるからこそ、何かをしたい」という主体的な創造をする『積極的な自分』に変わっていることに、 あなた自身が気づくことになるでしょう。自分自身が自分の人生の主人公になれたという喜び・自信・充実感、 これこそが「わかる」ということの本当の素晴らしさなのです。
 
「見守る」やさしさ
学習面において、最近の子供たちは自らの恣意性に非常に影響されやすい傾向にあり、 好きな教科はともかくそれ以外の教科にはまったく無頓着・無関心です。 他方、学習にはどの教科であっても、黙々と基礎練習やその反復を「厭わずに」続けなければ ならないときがあります。その達成に向けて、必要があれば、たとえ苦手教科の面倒な作業であっても、 最後までやり遂げる「意志力・我慢強さ」が何より求められていると、私たちは考えます。 見守る私たち大人に必要なことは、子供の包括的な成長を根気強く見つめ、叱るべきときには叱り、 褒めるべきときには褒めるといった客観的観察眼に基づくメリハリの利いた対応ではないでしょうか。 とかく大人は子供を褒めることを忘れがちです。 少なくとも1日1度は、子供のよさを発見し、思い切り褒めるという事から始めようではありませんか。